フジテレビ系列で放送された『日曜報道THE PRIME』で櫻井よしこさんが橋下徹さんを論破していると話題になりましたね。
年齢を感じさせない頭の回転で、相手の指摘に対して的確で冷静に反論している姿を目にした人も多いことでしょう。
年齢不詳を思わせる美貌から初めて櫻井よしこさんを見た人は何者なの!?と気になった人も多いはず。
一方で櫻井よしこさんは1980年から1996年まで日本テレビ『NNNきょうの出来事』のメインキャスターを務めていたので懐かしく感じた方もいるのではないでしょうか。
そこで今回は櫻井よしこさんについて『夫と離婚した理由は?』『両親や兄など家系図は!』と題してまとめていきたいと思います。
力のみを信奉する相手には、力でしか対抗できない厳然たる現実を私たちは見ています。日本は中国の脅威にも直面しています。この現実を見て見ぬ振りをするのか、それとも守り抜く道を歩むのか、岸田文雄政権に以下の課題に取り組むことを求めます。https://t.co/A3IyQSv2qM
— 櫻井よしこ (@YoshikoSakurai) March 7, 2022
櫻井よしこが夫と離婚した理由は?
櫻井よしこさんは過去にオーストラリアの記者と結婚していましたが、現在は離婚しており独身です。
櫻井よしこさんがオーストラリア人の夫と離婚した理由は調べてみましたが分かりませんでした。
どの様に元夫と出会い、結婚に至ったかについても分かりませんでしたが、1980年から1996年まで日本テレビ『NNNきょうの出来事』のメインキャスターを務めていた間に結婚と離婚をご経験されています。
ここからは筆者の想像ですが、櫻井よしこさんはスタジオでのキャスターとしての仕事だけではなく現場に赴いて取材を試みる方でした。
元夫は記者ということで、仕事の現場で出会ったのではと思われます。
頭がよく、自ら行動できる櫻井よしこさんにとってオーストラリア人の元夫は魅力的に感じたのかもしれません。
逆も然りで、櫻井よしこさんの美貌と頭脳明快な姿に当時の元夫も惹かれたのかもしれませんよね。
しかし、2人の結婚生活は約3年で終わります。
記者とキャスター、しかも国際結婚とうこともありすれ違いが生じてしまったのかもしれません。
お二人の間に子供も居ないようです。
櫻井よしこの両親や兄など家系図!
櫻井よしこさんのご両親や兄など家系図について調べてみました。
父:櫻井清さん
母:櫻井以志さん
兄:櫻井昭弘さん
姉:櫻井京子さん
弟:櫻井勇治さん
詳しく見ていきましょう。
父:櫻井清さん
櫻井よしこさんの父である櫻井清さんは横浜生まれで貿易商として働いていました。
以志さんとの結婚は再婚で、前妻に2人の子供、さらには以志さんとの結婚後に愛人との間にも子供がいます。
ベトナム戦争で日本が負けたことで、清さんは全財産を失い、家族は日本に帰国し大分に住居を構えますが、清さんは東京で仕事と愛人をみつけ家にはほとんど帰って来なかったそうです。
櫻井よしこさんの父、清さんは良いか悪いかは別として自由を好む人柄だったのかもしれません。
しばらくして、清さんはハワイでレストラン経営などの事業を展開し始めます。
その時、櫻井よしこさんは慶應義塾大学に通っていましたが中退してハワイの大学に進学し父の事業を手伝います。
愛人を作り、家にほとんど帰っていなかった父を追ってハワイに行き事業を手伝うなんて母以志さんが清さんのことを本当に悪く言ってこなかったことが伺えます。
しかし、清さんはハワイから事業撤退することにした際、櫻井よしこさんと意見が合わず若干18~19歳だった娘をハワイに置き去りにして日本へ帰国してしまったそうです。。
今では(当時でも?)考えられない行動ですよね。
そんな中でも、櫻井よしこさんは自らアルバイトをしてハワイの大学を卒業したそうです。
御年75歳となる現在も、凛とした表情をもつ櫻井よしこさん。
幼少期から様々な困難を「何があっても大丈夫」という言葉のもと乗り越えた背景があるからなのでしょう。
また、櫻井よしこさんが幼いころから父親がほとんど家に居ないことが日常だったことで自身の結婚生活が短く終わってしまったのかもしれませんね。
母:櫻井以志
櫻井よしこさんの母である櫻井以志さんは、どんなに大変な状況であっても「何があっても大丈夫」と子供たちに言い聞かせていた愛情深い母だったようです。
ベトナムから帰国後、大分で生活していましたが夫である清さんに愛人ができほとんど家に帰って来なくり、自分の故郷である新潟に子供2人を連れてへ引っ越したそうです。
愛人が出来、家に帰って来なくなった清さんのことを子供たちに対して悪く言うことは一度もなかったそうです。
清さんと結婚前、新潟の山奥で生まれ育った以志さんはもっと広い世界を見てみたいと自身で織った着物を売ることでお金を得て上京した行動力ある女性でした。
その後、美容師の資格を取得し、美容師として生計を立てていた時期もありました。
櫻井よしこさんの発言力はこうした母以志さんから受け継いのでしょうね。
櫻井以志さんは2005年にくも膜下出血で倒れ要介護5という状態になりました。
櫻井よしこさんは母の介護は娘の自分が観るのが一番と以前から考えていたようで、以志さんの介護を率先していました。
当時、櫻井よしこさんが介護をしていることが世間でも話題になりました。
介護で大変な時も母以志さんの教え「何があっても大丈夫」という言葉が支えになっていたようです。
兄:櫻井昭弘
櫻井よしこさんの兄は櫻井昭弘さんというかたで櫻井よしこさんの3歳年上です。
櫻井昭弘さんの情報はあまり見つけれられませんでした。
ただ、父である清さんが愛人と過ごすようになり家にあまり顧みず、また前妻や愛人に子供がいて異母兄弟が複数人いると知り、グレてしまった時もあったようです。
また、母である櫻井以志さんがくも膜下出血で倒れてしまい、介護が必要になるまでは同居していたそうです。
姉:櫻井京子、弟:櫻井勇治
櫻井よしこさんに三歳年上の兄昭弘さんの他に、姉の京子さん、弟の勇治さんがいました。
しかし、姉の京子さんは櫻井よしこさんが生まれる1年前の1944年に誕生していますが生後10か月ほどで亡くなったそうです。
また、弟の勇治さんは1948年に誕生していますが若干2歳で亡くなったそうです。
破天荒な夫をもち、自身の子供2人の死を目の当たりにしてもなお、櫻井よしこさんと昭弘さんに「何があっても大丈夫」と声を掛け続けたた母以志さんがいたからこそ、様々な困難も櫻井よしこさんは超えられたのでしょう。
以志さんの愛情深さに感銘を受けます。
まとめ
今回は櫻井よしこさんについて『夫と離婚した理由は?』『両親や兄など家系図は!』と題してまとめました。
『日曜報道THE PRIME』で橋下徹さんを論破していると話題になっていましたが、芯のある物言いには壮絶な困難を乗り越えた背景があるからこそなのかもしれません。
これからも櫻井よしこさんが話題になることがありそうですね。
ここまで読んで頂きありがとうございました。