トラビスジャパンのメンバーが無期限のアメリカ留学を発表してびっくりしましたよね。
トラビスジャパンの留学は1984年にアメリカ留学した少年隊に続く38年ぶりということで、マヂで!と驚いた方も多いはず。
トラビスジャパンがいつまで留学するのか発表されていないし、アメリカでどんな生活を送るのか気になるので少年隊が留学していたときのことを知りたい人のために早速調査してみました。
この記事では38年前の少年隊の留学期間がいつだったのか、デビューやアメリカでの生活はどうだったのか、についてまとめています。
少年隊の留学期間はいつだった?
少年隊のアメリカデビューや生活は?
少年隊の留学期間はいつだった?
少年隊の留学期間がいつだったのかについては
1981年~1985年頃3カ月に1度のペースだったと思われます。
というのは、週刊誌の情報から『デビュー前の4年間に3カ月に1度ほどのペースで海外に行っていた』という情報が見つかっているからです。
デビュー前の約4年間、3か月に1度ほどのペースで海外に渡り、本場のエンターテイメントを学ばせた。ブロードウェイのミュージカルを何度も鑑賞し、マイケル・ジャクソンの『スリラー』の振付師であるマイケル・ピータースの1日8時間に及ぶダンスレッスンを受けさせたこともあった。
引用元:NEWS ポストセブン
少年隊は1985年の12月12日に『仮面舞踏会』でレコードデビューしています。
そうするとデビューの4年前と言ったら1981年ですね!
なのでそのころから3カ月に1度はアメリカでトレーニングをしていたということになります。
少年隊のファンの口コミ情報によると、『少年隊の留学期間は3カ月だった』とか『長期間いなかった記憶はないし、1年くらいではないか?』という情報もあったのですが、実際はアメリカと日本を3カ月に1度行ったり来たりしていたようです。
実際に少年隊はデビュー前の1982年にホノルルで開催されたハワイ音楽祭で金賞と振り付け賞を獲得していますので海外での活動にも力を入れていたことは確かです。
少年隊はハワイ音楽祭では『KNOC ME』を披露。
棒を使ったアクションを取り入れた振り付けやバク転や衣替えあったようなのでアメリカ留学で培った技でみんなを虜にしたようですね!
少年隊とは?
少年隊についてどんなグループだったのかを以下に簡単にまとめてみました。
- 1981年結成
- 1985年デビュー
- 初期メンバーは錦織一清、東山紀之、植草克秀、松原康行の4人
- 松原が脱退
- 初期は近藤真彦や田原俊彦のバックダンサーだった
- 1982年ハワイ音楽祭金賞受賞
- 1985年レコードデビュー
- 日本レコード大賞等多数の賞を受賞
- 2020年に錦織と植草がジャニーズを脱退、東山のみ残っている
東山さんはジャニーズ事務所の最年長であり、映画やドラマにも出演されているのをよく見かけます。
少年隊はバク転やバク宙を披露することもあるほど運動神経抜群のグループでジャニーさんも最高傑作と呼んでいたほど期待されていたグループでした。
少年隊のアメリカデビューやアメリカでの生活は?
トラビスジャパンと同じように世界を目標にしていた少年隊。
『日本発、世界行き』のキャッチフレーズを掲げ、アメリカでは数々の番組に出ていたようですが、アメリカでちゃんとデビューはしていないようです。
予定していたアメリカデビューはとん挫したと言われています。
なぜアメリカデビューがなくなったのかについて理由はよくわかっておらず、『ジャニーズと日本』というジャニーズの歴史が書かれた本にも載っていないとか。
ただ、デビューしなかった理由として噂ですが、当時はまだ世界進出する準備が十分に整っていなかったとか、英語力の問題もあったのではないか、と言われいるようですね。
というのも、当時少年隊のメンバーがアメリカのテレビ番組で英語で話しかけられたもののうまく答えられず英語力が身についていなかったのは多くの人が知っているようですね、
少年隊はアメリカでどんなことをしていたかというと、なんとマイケル・ピータースさんからダンスの特訓を受けていたこともあったということです!
マイケル・ピータースさんとはマイケルジャクソンさんの曲を担当したスゴイ振付師です!
マイケル・ジャクソンさんは超有名な曲である『スリラー』の振り付けを担当されていた方なんです!
そんなスゴイ方のレッスンを受けていたと聞いて少年隊がいかにジャニーさんから期待され、ダンスの特訓に励んでいたかが伝わってきますよね。
ただ、少年隊のメンバーはマイケル・ピータースさんからも英語の勉強をしてくるように毎回言われていたそうなので、英語での意思疎通や発音の問題がクリアできなくてアメリカデビューがうまくいかなかったのだと思われます。
少年隊がデビューしたころは今の時代ほど英語が身近ではなかったですし、翻訳の機械とかもなかった思います。
ダンスや歌のトレーニングをしながら語学勉強までこなすのは相当ハードだったでしょうね。
トラビスジャパンのメンバーもマイケルジャクソンさんの振り付けを担当していたトラビス・ペインさんによって選ばれたメンバー。
トラビスジャパンの留学は、昔の少年隊と同じようにアメリカで世界に通用するスキルをもっと磨いてほしいと期待されての留学だと思うのでぜひ世界進出の夢を叶えてほしいですね!
トラビスジャパンは3月27日にはアメリカのアナハイムで開催される「ワールド・オブ・ダンスチャンピオンシップシリーズ オレンジカウンティ 2022」に出場が決まっていますから早速世界を舞台にどんどん挑戦して、少年隊で叶わなかったアメリカデビューも目指してほしいものです!
まとめ
トラビスジャパンが少年隊依頼38年ぶりにアメリカ留学するということで、『少年隊の留学期間はいつだった?デビューやアメリカでの生活についても』のタイトルで書かせていただきました。
少年隊の留学期間がいつだったのかについては1981年~1985年頃3カ月に1度のペースだったと思われます。
アメリカデビューの計画がありましたがその計画はなくなってしまったと言います。
アメリカの番組にも出ていましたしマイケルジジャクソンさんの振付師の指導も受けていたにも関わらず残念です。
しかし日本ではメンバーが脱退して東山さんしかいなくなった今でも少年隊のファンはたくさんいるほど愛されているグループです。