佐々木朗希(ささきろうき)さんは『千葉ロッテマリーンズ』の顔として、今後の活躍が期待されています。
高校時代には163キロの球速を記録し、話題になりましたよね!
そんな佐々木朗希さんを育てた両親や、兄弟に関して調べました。
また、実家は岩手県の陸前高田市で、被災した経験もあります。
今回は『佐々木朗希の両親(父母)や兄弟など家族構成!実家は陸前高田で被災!』と題し、野球以外に注目していきます!
佐々木朗希の両親(父母)や兄弟など家族構成!
【 #ロッテ 】佐々木朗希、自己最速タイ163キロでポランコ3球三振、3回まで5K https://t.co/8bF9LcdDh7 #千葉ロッテマリーンズ #chibalotte #baseball pic.twitter.com/WHXwPp72UM
— スポーツ報知 プロ野球取材班 (@hochi_baseball) March 18, 2022
佐々木朗希さんの家族は母親、兄、弟の4人家族です。
ここで気になるのは、父親がいないことですよね。
実は佐々木朗希さんの父親は、東日本大震災の影響で亡くなっています。
もともとは5人家族でしたが、4人となってしまいました。
それぞれ家族がどのような人物だったのか、詳しく見ていきましょう!
佐々木朗希の母
【 #ロッテ 】 #佐々木 朗希と契約同席の母・陽子さん、献立に「ダメ出しされます」 https://t.co/d3HIYDT3BI #野球 #baseball
— スポーツ報知 (@SportsHochi) November 30, 2019
母親の名前は『陽子』さんで、ネットでは「美人すぎる」などと一時期話題になりました。
上記の画像だと横顔しか見えませんが、確かに綺麗な方ですよね!
母親の陽子さんは夫を亡くしているため、佐々木朗希さんや兄弟を女手一つで育てています。
そんな母親の陽子さんに、佐々木朗希さんはとても感謝しているでしょうね!
その証拠に、佐々木朗希さんがプロ初勝利を飾った際に、ウイニングボールを母親に渡しています。
プロ野球選手がプロで初勝利を挙げると、感謝の気持ちを込めてウイニングボールを恩人に渡すことがあります。
そこで母親を選んだということは、それだけ感謝しているということですよね!
さらに、ヒーローインタビューで「ウイニングボールをどうしたいか?」の問いに「両親にプレゼントします」と答えています。
父親が亡くなっているため母親にしか渡せませんが、父親にもプレゼントするという発言は感動しますよね。
佐々木朗希さんの発言を聞いた母親の陽子さんは、テレビを見て号泣したそうです。
『両親にプレゼントします』と言ってくれたことがうれしくて、号泣しました。私だけではなくて両親にと言ってくれたのが、本当にうれしかったです。
引用元:日刊スポーツ
父親が亡くなって1番悲しんだのは母親の陽子さんかもしれませんので、号泣する気持ちも分かりますよね!
このエピソードから、佐々木朗希さんは家族思いの良い人だということが分かります。
ちなみに、佐々木朗希さんは母親が作るハンバーグが好きだそうで、手作りの料理で1番好きだと語っています。
お店のハンバーグが食べられないくらいおいしいです。いつもたくさん作ってくれて食べたいだけ食べていました
引用元:日刊スポーツ
これだけ褒めてくれると、母親の陽子さんも嬉しいでしょうね!
佐々木朗希の父
父の名前は『功太』さんで、37歳という若さで亡くなっています。
とても明るい方だったようで、葬儀屋で働いていたそうです。
佐々木朗希さんの出身地、陸前高田市の市長である『戸羽 太』さんとも交流があったようで、市長は父親の功太さんを以下のように語っています。
戸羽市長は、東日本大震災で亡くなった朗希の父・功太さん(享年37)とも付き合いが深かった。
気さくで行動力があって。先輩も後輩もみんなが付いていって
引用元:日刊スポーツ
このエピソードから、多くの人に愛される人物だったことが分かりますよね!
佐々木朗希さんはプロ野球界でも愛される存在で、ファンからは「ろーたん」という愛称でも呼ばれています。
多くのファンを惹きつけるのは、父親の血を受け継いでいるからでしょうね!
佐々木朗希の兄
佐々木朗希さんの兄は『琉希(りゅうき)』さんで、野球センスが抜群でした!
兄の琉希さんも佐々木朗希さんと同じく『岩手県立大船渡高等学校』に入学し、野球部に所属していました。
野球部では4番打者を務めていたので、琉希さんは打者として才能があったのでしょうね!
また、母親によると、兄の琉希さんは亡くなった父親の代わりになってくれたそうです。
母陽子さんが「父親代わりになってくれた」と感謝するほど、佐々木家を支えてきた。
引用元:日刊スポーツ
もともと父親は長男である琉希さんに、厳しいしつけをしていたそうです。
そんな父親がいなくなってしまったので、琉希さんは父親になろうとしていたのかもしれません。
その証拠に、兄の琉希さんは佐々木朗希さんに対して厳しく当たっており、褒めたことは1度も無かったと母親は語ります。
朗希が兄から褒められたことを見たことがないですね。見ててかわいそうなぐらい朗希は、兄から言われてました。
引用元:日刊スポーツ
おそらく兄の琉希さんは、佐々木朗希さんの野球の才能を見出しており、プロ野球への道に進むと信じていたのではないでしょうか。
あえて厳しく当たることで、闘争心に火を付けたのだと考えられます。
佐々木朗希さんは自他共に認める負けず嫌いとして知られており、兄の琉希さんはそれを利用してハッパをかけていたのでしょうね!
その影響で佐々木朗希さんは兄を超えるために練習に励み、負けず嫌いという長所を伸ばしていきました。
プロ野球選手にとって、負けず嫌いという性格はとても重要です。
様々なライバルが活躍をしているので、野球の技術だけが突出していても、メンタル面が強くなければ成功できません!
負けず嫌いの精神を学生の頃から伸ばしてくれたので、兄の琉希さんは父親代わりになって正解ですよね!
ちなみに、兄の琉希さんは佐々木朗希さんと野球の話をほとんどしなかったと語っています。
たまに話すことはありますが、佐々木朗希さんが頑張っている姿を近くで見ていたので、余計な口出しをしなかったそうです。
そして常に佐々木朗希さんへ言っていたのは「1番大変なのは母親だぞ」という言葉でした。
ユニフォームの洗濯や食事管理など、猫の手も借りたい位の忙しさです。
それを常に考えて野球をしていた佐々木朗希さんは、感謝の気持ちを忘れない選手へと成長しました。
これらのエピソードから分かる通り、兄の琉希さんが母親を支える存在だったことが分かりますよね!
佐々木朗希の弟
#楽天イーグルス杯 で岩手の #猪川野球クラブ が優勝です。決勝で青森の #十和田スリースターズ を4―0で破りました。先制のホームを踏み、ショートの守備でも再三、好プレーをみせた佐々木怜希内野手は、大船渡の147㌔右腕佐々木朗希投手の弟です。#学童野球 #rakuteneagles pic.twitter.com/KMlF9IE6YO
— 日刊スポーツ新聞社東北取材班 (@nikkan_tohoku) November 26, 2017
佐々木朗希さんの弟は『怜希』さんで、兄2人と同じように野球をやっています。
野球の才能は2人の兄から受け継いでいるので、今後も野球を続ければ注目選手になりそうですよね!
上記の画像では、メガネをかけた方が怜希さんです。
将来は佐々木朗希さんのように高身長に育つかもしれませんね!
佐々木朗希の実家は陸前高田で被災!
佐々木朗希さんの実家は陸前高田市で、岩手県出身です。
実家は2011年3月11日に発生した東日本大震災で被災しています。
この影響で陸前高田市は大ダメージを受け、父親が亡くなってしまいました。
もともと佐々木朗希さんは祖父母とも暮らしており、震災前は7人家族で陸前高田市に住んでいました。
震災の影響で父、祖父、祖母を亡くしているため、当時小学生だった佐々木朗希さんはショックを受けています。
震災当時母の陽子さんは、陸前高田市の隣町である大船渡市で仕事をしており、命は無事でした。
震災の翌日、陽子さんは高台に避難していた子供3人と再会しています。
母陽子さんは仕事で隣町の大船渡にいたが、浸水で立ち往生を余儀なくされた。
高台の施設に避難し、一夜を明かした3兄弟。再会に涙した。
引用元:日刊スポーツ
この時点で、父と祖父母がいない状況に母親は全てを察していたようです。
結果的に父親と祖父母を失った佐々木朗希さんですが、先述した通り兄が父親の代わりをしてくれました。
この経験は佐々木朗希さんを強くしたようで、感謝の気持ちを忘れない意識が芽生えたようです。
当たり前が当たり前じゃないとか、今あるものがいつまでもあるわけじゃないとか、そういうのを思い知らされました。
引用元:日刊スポーツ
辛い経験ではありますが、この経験をバネに現在活躍しています。
同じ被災者からしても、佐々木朗希さんの活躍は励みになりますよね!
「東北の方々に喜んでもらえるよう頑張りたい」と意気込んでいるので、今後も活躍を期待したいですね!
まとめ
今回は『佐々木朗希の両親(父母)や兄弟など家族構成!実家は陸前高田で被災!』と題して紹介しました。
佐々木朗希さんは現在4人家族で、兄が父親代わりをしていたことが判明しました。
また、実家は陸前高田市で、東日本大震災の影響を受け被災しています。
東北に元気を与える存在として、今後も頑張ってほしいですね!