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森重航がイケメン!専修大学で高校は?10人家族の末っ子で壮絶?





北京オリンピック、スピードスケート日本代表の森重航(わたる)選手がイケメンということで今話題です。

森重航選手は、2021年に行われた日本選手権と五輪選考会の両方で優勝。

初参戦したワールドカップでも優勝をとげ、

最も金メダルに近い選手として注目が集まっています。

オリンピックではスピードスケートの500mと1000mに出場します。

今回は、そんな金メダルへの期待とルックスに、日本中の熱視線が注がれている森重航選手について調べてみました。

内容はこちらです。

・森重航はイケメンで筋肉がヤバイ!

・森重航のプロフィール

・森重航の大学や高校について

・森重航選手の家族について

それではさっそく、本題に行ってみましょう。



森重航がイケメンで話題!

森重航選手はイケメン!とにわかに話題となっています。

森重航選手には「イケメン」「かっこいい」の他に、

「可愛い」「こういう顔がタイプ」との声があがっています。

北京オリンピックで活躍し知名度が上がれば女性ファンが一気に増えるのではないでしょうか?

森重航の筋肉もヤバい!

森重航選手の筋肉も話題になっています。

スピードスケートの選手なので特に太ももの筋肉がやばいです。

スピードスケートも全身運動なので懸垂や腹筋背筋、ダンベルなどによる基礎トレーニングで体を鍛えます。

それに加え長時間前傾姿勢をブレることなく維持する必要があるので、

下半身強化が何よりも重要になってきます。

そのためスクワットや短距離のダッシュ、重いギヤの自転車で坂道をこぐなどのトレーニングに明け暮れるわけです。

ワールドカップでは、優勝を含め3度表彰台に上がっている森重航選手。

海外の大型選手を相手にしても引けを取らない理由は、その鍛え抜かれた下半身と太ももにあると思われます。

ちなみに、森重航選手の太もも周りが何センチかは不明ですが、

長野オリンピックで金メダルに輝いた清水宏保さんの太もも周りは64㎝だそうです。

一説には全盛期は、68㎝だったという話も、、。

太ももが女性のウエストよりも太いとか、、信じられません。





森重航のプロフィール

森重航選手のプロフィールはこちらです。

プロフィール

名前:森重航(もりしげ わたる)

生年月日:2000年7月17日

年齢:21歳(2022年2月現在)

身長:175㎝

体重:75㎏

出身地:北海道

趣味:球技、漫画

森重航選手のプロフィールの趣味の欄に球技とありますが、

運動神経はかなり良いようです。

森重航選手は小学校時代、リンクに氷が張らない夏場には野球や陸上に取り組んでいました。

小学6年生の時には、釧路市の陸上大会の100m走にて優勝をとげています。

森重航選手の父親の誠さんいわく、

「なんぼか運動神経は良かったな」

と語っています。

森重航選手はスピードスケート以外のスポーツでも、日本代表クラスの選手になったのではと思います。



森重航は専修大学で学部は?

森重航選手は、現在大学3年生、大学は専修大学で学部は経営学部です。

森重航選手がなぜ経営学部を選んだのかは不明でした。

ただ、森重航選手の実家は牧場を経営しています。

それが経営学部を選んだ理由ではないかと考えます。

経営学部では、経営や経営運営の理論やマーケティングや人材マネージメントなど、

企業経営の仕方を詳しく学びます。

専修大学の経営学部卒業後の進路先を見てみると、流通、金融、教育、情報と多方面に渡ります。

その中には、農業、林業、漁業分野へ就職した人もいます。

森重航選手の現役引退後のプランは、ひょっとすると実家で牧場経営かもしれません。

森重航の出身高校はどこ?

森重航選手の出身高校は山形中央高校です。

山形中央高校は県内で唯一、普通科と体育科がある高校です。

スピードスケートでは強豪校として知られ、森重航選手は親元を離れ山形中央高校に進学しました。

森重航選手は高校時代、国体や選抜大会などでは優勝をしていますが、

インターハイでは思うような成績を残せませんでした。

高校3年の最後のインターハイでも3位に終わり悔しい思いをしました。

しかし、森重航選手は決して腐ることなく、その悔しさをバネに努力し続けます。

森重航選手の高校時代を知る関係者の話では、

「黙々と寡黙にトレーニングに励む選手だった」

そうです。

大学に進学してからも真摯に競技に取り組んでいった結果、

今シーズンの飛躍へ繋がり、ついにはオリンピック日本代表選手へとなったのです。

森重航の出身は別海

森重航選手の出身は、畜産と漁業が盛んな北海道の別海町です。

人口は約1万5000人で牛の数は約12万頭、人よりも牛の方がはるかに多いようです。

別海町は、キタキツネやタンチョウが生息する自然豊かな場所。

そういった地域で森重航選手はすくすくと育っていきます。

森重航選手が小学生の時、学校でスケート少年団のプリントが配られたことがありました。

それを見た森重航選手は「やりたい!」と思い、すぐさま応募。

スケートにのめり込んでいきます。

スケート少年団の監督は当時の森重少年について、

「飲み込みが早かった」

と語っています。

加えて幼い頃から実家の牧場で牛へのえさやりなどを手伝っていたこともあり、

自然と足腰が鍛えられていました。

更には、学校が休みの日の練習へ行く際には20㎞の道のりを自転車で通ったそうです。

その結果、森重航選手は地元では天才スケート少年としてその存在を知られるようになりました。



森重航は10人家族の末っ子!

森重航選手は、10人家族で8人兄弟の末っ子です。

森重航選手の兄弟の名前や年齢に関する情報は非公開で不明でした。

ただ1つだけ、これは森重航選手のお兄さんではないかと思われる情報を見つけました。

別海町酪農研修牧場のホームページにて、「森重牧場」が紹介されていたのです。

別海町酪農研修牧場㏋

インタビューに答えていたのは、森重信洋さんという方。

この方のプロフィールの欄には、「酪農家の8人兄弟の長男」とありました。

森重という苗字と8人兄弟、このことから森重航選手の兄弟の長男は森重信洋さんではないかと思われます。

森重航の子供時代が壮絶

中学の全国大会では500mと1000mを制し二冠に輝くなど、早くから全国トップクラスの選手として活躍していた森重航選手。

その影には両親の支えがありました。

両親は牧場を経営していたため休みはありませんでしたが、

必ずどちらかが大会の応援には駆けつけたそうです。

森重航選手が中学新記録をたたき出した時、その場にいた父親の誠さんは、

「中学新記録のアナウンスを聞いた瞬間、鳥肌だったよね」

と語っています。

母親の俊恵さんも練習の送迎や少年団の父母の会にも積極的に参加し、

森重航選手を支えます。

そんな母、俊恵さんは2012年、乳がんを患い手術。

森重航選手が小学校6年の時です。

手術は成功し、回復後も森重航選手の遠征に帯同するなどした俊恵さん。

森重航選手が高校の時のインターハイには3年連続で応援にかけつけたりもしました。

「将来はオリンピック選手に」という夢が現実味を帯びてきた高校時代の森重航選手でしたが、

このころ俊恵さんの病状は徐々に重症化していました。

がんが骨や肝臓に転移していたのです。

母の病状は重症化するまで何も聞かされていなかった森重航選手。

おそらく競技に専念してほしいという俊恵さんの意向で、病気のことは知らせなかったのだと思います。

そして森重航選手は専修大学へ進学し、迎えた19歳の誕生日の日、母は息子に最後の言葉を残します。

まともにしゃべることも困難なほどに病状が悪化してしていた俊恵さんでしたが、

誕生日ということで誠さんが森重航選手に電話。

耳元に携帯電話をそっと当てられた俊恵さんは声を絞り出します。

「スケート、がんばれ、、」

携帯から聞こえてくるのは息子の声にならない涙声でした。

その4日後、俊恵さんは静かに旅立ちました。

森重航選手は、

「母が亡くなりスケートに懸ける思いが大きくなった」

と語っていますが、その年から森重航選手の成績は急激に伸び始めます。

そして掴んだオリンピックへの切符。

母親の俊恵さんが導いてくれたと言っても過言ではないでしょう。



まとめ

今回は北京オリンピック「スピードスケート日本代表」の森重航選手について調べてみました。

森重航選手はイケメンで筋肉がヤバイとにわかに話題となっています。

このままオリンピックで活躍すれば、ファンは一気に増加することでしょう。

森重航選手は山形中央高校卒業後は専修大学に進学し、現在3年生です。

学部は経営学部で、将来的には実家の牧場を経営するかもしれません。

森重航選手は8人兄弟の末っ子で、北海道の別海町という大自然に囲まれた環境ですくすくと育ちました。

森重航選手は小学校時にスピードスケートを本格的に始めるわけですが、その影には両親の支えと応援がありました。

大学生になってから成績が一気に伸びた森重航選手は勢いそのままにオリンピック日本代表の座を射止めます。

母の最期の言葉と父、兄弟の応援を胸に初出場のオリンピックに挑む森重航選手。

どういった滑りをみせてくれるのか、、注目ですね!

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